2021年を迎えて ヤマザキマリさん、塩野七生さんの言葉に触れる

新年を迎え早くも10日。

ブログをスタートすると意気込んだでからもう2週間も経つ!

新年気分の束の間。すっかりいつもの日常だ。しかも緊急事態宣言が出され、ステイホームの日々。

 

それでもこの三が日はコロナの影響もあり、ゆっくり過ごせた。

池上彰さんが紹介していたヤマザキマリさんの「たちどまって考える」を読んだ。

コロナに対する日本人とイタリア人の違いがわかり、興味深かった。

また、コロナ後のイメージを第二次世界大戦後やルネサンスに見られる文化の開花と同じような事が期待できることに触れられており、コロナ後抑圧されれていた文化活動がどのような発展がみられるのかワクワクするのであった。

著書で紹介されていた、イタリア映画「自転車泥棒小津安二郎「長屋紳士録」「一人息子」も観てみる。「自転車泥棒」はなんともせつない映画であったが、小津安二郎の2作品は、戦後の不条理な環境下、それでも生きていくというたくましさのようなものが感じられ、この厳しい環境下やっていくのだというスイッチを入れてもらったような気がした。

 

あと、印象的だったのは新年早々のNHKのインタビューでの塩野七生さんの言葉である。

・日本人は、「100%信仰」を捨てたらよいのではないか

・今、私たちは、歴史の踊り場に立って居る。だから、今、このコロナ騒ぎって云うのは、この踊り場に居ると想ったら善いのではないでしょうか。

・日本に捨てて欲しいと、私が、切に願うのは、減点主義。自由というのは、失敗しても善いと云うことなんですよ。失敗することが許されないのは、もう自由が無いってことなんです。

 

普段なんとなく感じている、「こうあるべき」呪い・同調圧と通じるものがあって、塩野さんの言葉にも力をもらった。

 

歴史を学ぶことから遠ざかっていたが、イタリアに拠点をおかれるお二人の視点から歴史から学ぶことの大切さを改めて知った。今年は歴史も学んでみよう。

 

年が明けてコロナの感染拡大がまだまだ拡がって、緊急事態宣言も出されて、仕事もこの先どうなるかわからないのだけれど、いつか収束を迎えたその先に希望を持ちたいのである。